昨晩は友人の林いずみさんが主催するパーティが恵比寿でありました。彼女に会うたび、私はあるエピソードを思い出します。長くなりますが、今日はその事を書きます。
そもそも、いずみちゃんとの出会いは2年前。ランドマークエデュケーション株式会社のブレークスルーテクノロジーコースと言うセミナーの会場でした。ブレークスルーテクノロジーコースというのはいわゆる自己啓発セミナーです。セミナーについては賛否両論があり、ここではそのことについては触れませんが、私にとっては大変有意義な素晴らしい体験でした。
そのセミナーを受講後に選択できる、ICLPというリーダー研修プログラムがあります。セミナーを気に入った私は、すすめられるままにICLPに申し込みました。研修は6ヶ月かけて説明会リーダー(セミナーの説明会をリードできる人材)を育成するプログラムを通じて、社会のリーダーを育成するというものでした。ま、詳細は知らずに申し込んだのですが(笑)
そうしたところ、このICLPはなんと「セミナーの申し込みを作る」という一点をひたすら追求し行動し続けることによって、自分の限界を突破してゆくという常識外れなものでした。今ひとつ言えることは、どんなジャンルのものでも一点を追求し登り続けると、そこには沢山の壁が現れます。それを次々に突破していく過程で、自分自身を知り、また、自分すら知らない自分を知り、人間は誰しも階段を上っていくのだと知りました。そして一度上った階段は、人間の世界の中でジャンルを限定せず通じるもののようです。
例えばイチロー選手は、ICLPなど、ましてやブレークスルーテクノロジーコースなど受けなくとも、野球という一点を通じで、自分の限界を次々と突破し、遙かな高みに到達していると思います。他にも例えば職人や芸術家、ビジネスマン、学者など、あらゆるジャンルにそういう方々はいます。
ICLPはその性格上、誰にでも勧められるものではありません。皆さんにもお勧めはしません。私は例えどんな大金を積まれようとも、二度とやるつもりはありません。私にとってはそれくらい辛い、しかし多くの感動と喜びに満ちあふれた、生涯忘れることのできない6ヶ月間でした。
林いずみはそのICLPのヘッドコーチでした。ICLPは講師とは別に、6ヶ月間をサポートするコーチが付きます。そのコーチをまとめるのがヘッドコーチです。ちなみにコーチは全員がボランティアです。林いずみがいなかったら、過酷な6ヶ月間を私がやり通せたか大いに疑問です。彼女は本当に情が厚く、愛情深く、懐の深い、頼れる、「どんと来い!」という感じの強い女でした。ICLP期間中は様々な自己探求を嫌でもすることになるので、これまでにないような壁にぶち当たります。こんなことがありました。
私はロックンローラーになると言って高校を中退し、ギターを持って上京した80年代の少年でした。中退したからといって、私は自分が馬鹿だとは、これっぽっちも思っていませんでした。いや、本当に。上京した後のフリーター時代も。会社員となってショパールのマーケティングを手がけた一新時計株式会社時代も、フリーのマーケティングコンサルタント時代も、マイクロマーケティング創業からあの時点までも、一切の疑いを持っていませんでした。むしろ、あらゆる局面で自分の優秀さを証明してきたと、自信満々だったのです。その時までは。今から思うと恥ずかしくて机の下に隠れたくなりますが、私はそんなふうだったのです。
ICLP期間中は毎日のように自分の化けの皮が剥がれてゆきました。皮の大小ありますが、この時の皮は大きなものでした。あることをきっかけとして、私はある壁にぶち当たりました。自分でもそれがなんの壁なのかわかりません。どうやってもわかりません。そして、だんだんと、そわそわしてゆく自分に気が付きます。日本昔話風に例えると私にとりついたキツネが、それが見破られそうになってそわそわし始めている、そんな感じでした。もちろんこれは例えであり、キツネなんか取り付いていません(笑)もっと言えば、ランドマークエデュケーションはロジカルなアメリカの会社で、神、霊等の不明確な世界には一切踏み込みません。
ただ本当に、そんな感じの体験だったのです。そんな、おかしな状態の私をヘッドコーチいずみが見逃すはずはありません。「ちょっと、ちょっと」と呼ばれて静かな所で、二人で話しました。いずみちゃんは私と同い年、彼女は柔らかな口調で、しかし私にとっては意外な部分に斬り込んできました。
「松村さん、私、この前、松村さんのプロフィールを見て驚いたんだけれど、高校を中退してるのね。全然そんな風には見えなかったから。」
そうだよ。別に隠していたわけではないよ、もちろん。何も恥ずかしいとは思わないから。
「うん。わかるよ。でも、中退するって、それだけ大きな何かが有ったんだと思う。何があったの?」いや、俺は音楽をやりたかったんだ。ロックンローラーになりたくて。学校に行っている自分も嫌いだったし。
「おおっ、かっこいい。じゃあ、ロックがやりたくて学校を辞めたの?」
そうだよ、勉強だって、と言いかけて、私は衝撃的な事実に気が付きました。私は勉強ができたような印象を自分で抱いていたのですが、本当は出来なかったことを思い出したのです。私は軽い衝撃を感じました。「・・・俺は、勉強が出来なかった。まさかとは自分でも思うけれど、出来なかった。だって、成績が悪くて留年しそうだったんだ」
「ふーん、そうなんだ。」
「そうだ。」
「音楽はできたの?」
音楽は。。。と考えを巡らせたときに、私はさらにショックを受けました。確かにロックは好きだった。だけど、選択科目の音楽もろくに出来はしなかったのだ。
「そうなんだ」
そうだ。勉強が出来なかった。だから、留年しそうだったんだ。俺は留年なんて絶対に耐えられなかった。小学校時代はそこそこ勉強ができた私の、ちっぽけなプライドが許さなかった。この俺が留年なんて。留年を許すことが出来ず、音楽をやりたいと言い出したんだ。だって、ギターを買ったのも、バンドを組んだのも、高校を中退してからだったじゃないか。
17歳の僕がいたならば、もう少し語りたいことがあっただろう。歌も作った、表現したいことがたくさんあった。許せないことがたくさんあった。嫌いなことがたくさんあった。そうあの時。中退を決めたあの時、尾崎豊の「17歳の地図」のリズムにのって私は、自分の心の地図に一つの紛い物を入れた。それは勉強が出来ず留年しそうな自分、勉強が出来ずバカであったという自分を隠す、偽りのロックスターの夢だ。私は私自身を巧妙に騙し、自分はロックをやるために学校を辞めたのだ、と、そう信じ込ませた。自分自身にだ。
40を過ぎた私は髪もすっかり薄くなり、腹も出た。あの時。あの時から25年間も私は自分自身を偽って生きてきた。10代後半から音楽を諦める20代の半ばまでは、本当に苦しい時代だった。それもそのはずだ、私はロックンローラーに本気でなりたいとは思っていなかったのに、ひたすらそう信じこみ、そうなれるようにさまよっていたのだ。どんなに苦しんでも「自分は馬鹿ではない」というちっぽけなプライドを守るほうが重要だったのだ。私は椅子から転げ落ち、膝を付きそうになった。私は泣いていた。ロックスターを夢見ていた人生は一体何だったのだろう?
「タバコすおっか。」同情でも嘲笑でもない満面の笑みでいずみちゃんが言った。私は紙巻はやらないが、思わず頷いた。いずみちゃんの肩を借りて、外の喫煙場所でタバコを吸った。一人では立っていられなかったのだ。あまりの衝撃で。この俺が? まさかバカだったなんて。
「私はバカなんです」いまでは、誰にでも笑ってそう言えます。卑屈になるのではなく、自分を嘲るわけでもなく、ただ自分はバカなんだ、というところに居られるのです。そのことを私は気に入っています。私はもうセミナーとは関わっていませんが、いずみちゃんをはじめ多くの友人を得られたランドマークエデュケーションに深く感謝しています。バカでいいと心のそこから思えることで、私は大いなる自由を手に入れました。






