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MM CEO blog 可能性のブログ

17歳の地図

2011.10.29

昨晩は友人の林いずみさんが主催するパーティが恵比寿でありました。彼女に会うたび、私はあるエピソードを思い出します。長くなりますが、今日はその事を書きます。


 

そもそも、いずみちゃんとの出会いは2年前。ランドマークエデュケーション株式会社のブレークスルーテクノロジーコースと言うセミナーの会場でした。ブレークスルーテクノロジーコースというのはいわゆる自己啓発セミナーです。セミナーについては賛否両論があり、ここではそのことについては触れませんが、私にとっては大変有意義な素晴らしい体験でした。

 

そのセミナーを受講後に選択できる、ICLPというリーダー研修プログラムがあります。セミナーを気に入った私は、すすめられるままにICLPに申し込みました。研修は6ヶ月かけて説明会リーダー(セミナーの説明会をリードできる人材)を育成するプログラムを通じて、社会のリーダーを育成するというものでした。ま、詳細は知らずに申し込んだのですが(笑)

 

そうしたところ、このICLPはなんと「セミナーの申し込みを作る」という一点をひたすら追求し行動し続けることによって、自分の限界を突破してゆくという常識外れなものでした。今ひとつ言えることは、どんなジャンルのものでも一点を追求し登り続けると、そこには沢山の壁が現れます。それを次々に突破していく過程で、自分自身を知り、また、自分すら知らない自分を知り、人間は誰しも階段を上っていくのだと知りました。そして一度上った階段は、人間の世界の中でジャンルを限定せず通じるもののようです。

 

例えばイチロー選手は、ICLPなど、ましてやブレークスルーテクノロジーコースなど受けなくとも、野球という一点を通じで、自分の限界を次々と突破し、遙かな高みに到達していると思います。他にも例えば職人や芸術家、ビジネスマン、学者など、あらゆるジャンルにそういう方々はいます。

 

ICLPはその性格上、誰にでも勧められるものではありません。皆さんにもお勧めはしません。私は例えどんな大金を積まれようとも、二度とやるつもりはありません。私にとってはそれくらい辛い、しかし多くの感動と喜びに満ちあふれた、生涯忘れることのできない6ヶ月間でした。

 

林いずみはそのICLPのヘッドコーチでした。ICLPは講師とは別に、6ヶ月間をサポートするコーチが付きます。そのコーチをまとめるのがヘッドコーチです。ちなみにコーチは全員がボランティアです。林いずみがいなかったら、過酷な6ヶ月間を私がやり通せたか大いに疑問です。彼女は本当に情が厚く、愛情深く、懐の深い、頼れる、「どんと来い!」という感じの強い女でした。ICLP期間中は様々な自己探求を嫌でもすることになるので、これまでにないような壁にぶち当たります。こんなことがありました。

 

私はロックンローラーになると言って高校を中退し、ギターを持って上京した80年代の少年でした。中退したからといって、私は自分が馬鹿だとは、これっぽっちも思っていませんでした。いや、本当に。上京した後のフリーター時代も。会社員となってショパールのマーケティングを手がけた一新時計株式会社時代も、フリーのマーケティングコンサルタント時代も、マイクロマーケティング創業からあの時点までも、一切の疑いを持っていませんでした。むしろ、あらゆる局面で自分の優秀さを証明してきたと、自信満々だったのです。その時までは。今から思うと恥ずかしくて机の下に隠れたくなりますが、私はそんなふうだったのです。

 

ICLP期間中は毎日のように自分の化けの皮が剥がれてゆきました。皮の大小ありますが、この時の皮は大きなものでした。あることをきっかけとして、私はある壁にぶち当たりました。自分でもそれがなんの壁なのかわかりません。どうやってもわかりません。そして、だんだんと、そわそわしてゆく自分に気が付きます。日本昔話風に例えると私にとりついたキツネが、それが見破られそうになってそわそわし始めている、そんな感じでした。もちろんこれは例えであり、キツネなんか取り付いていません(笑)もっと言えば、ランドマークエデュケーションはロジカルなアメリカの会社で、神、霊等の不明確な世界には一切踏み込みません。

 

ただ本当に、そんな感じの体験だったのです。そんな、おかしな状態の私をヘッドコーチいずみが見逃すはずはありません。「ちょっと、ちょっと」と呼ばれて静かな所で、二人で話しました。いずみちゃんは私と同い年、彼女は柔らかな口調で、しかし私にとっては意外な部分に斬り込んできました。

「松村さん、私、この前、松村さんのプロフィールを見て驚いたんだけれど、高校を中退してるのね。全然そんな風には見えなかったから。」
そうだよ。別に隠していたわけではないよ、もちろん。何も恥ずかしいとは思わないから。

「うん。わかるよ。でも、中退するって、それだけ大きな何かが有ったんだと思う。何があったの?」いや、俺は音楽をやりたかったんだ。ロックンローラーになりたくて。学校に行っている自分も嫌いだったし。

「おおっ、かっこいい。じゃあ、ロックがやりたくて学校を辞めたの?」

そうだよ、勉強だって、と言いかけて、私は衝撃的な事実に気が付きました。私は勉強ができたような印象を自分で抱いていたのですが、本当は出来なかったことを思い出したのです。私は軽い衝撃を感じました。「・・・俺は、勉強が出来なかった。まさかとは自分でも思うけれど、出来なかった。だって、成績が悪くて留年しそうだったんだ」

 

「ふーん、そうなんだ。」

「そうだ。」

「音楽はできたの?」

 

音楽は。。。と考えを巡らせたときに、私はさらにショックを受けました。確かにロックは好きだった。だけど、選択科目の音楽もろくに出来はしなかったのだ。

 

「そうなんだ」

 

そうだ。勉強が出来なかった。だから、留年しそうだったんだ。俺は留年なんて絶対に耐えられなかった。小学校時代はそこそこ勉強ができた私の、ちっぽけなプライドが許さなかった。この俺が留年なんて。留年を許すことが出来ず、音楽をやりたいと言い出したんだ。だって、ギターを買ったのも、バンドを組んだのも、高校を中退してからだったじゃないか。

 

17歳の僕がいたならば、もう少し語りたいことがあっただろう。歌も作った、表現したいことがたくさんあった。許せないことがたくさんあった。嫌いなことがたくさんあった。そうあの時。中退を決めたあの時、尾崎豊の「17歳の地図」のリズムにのって私は、自分の心の地図に一つの紛い物を入れた。それは勉強が出来ず留年しそうな自分、勉強が出来ずバカであったという自分を隠す、偽りのロックスターの夢だ。私は私自身を巧妙に騙し、自分はロックをやるために学校を辞めたのだ、と、そう信じ込ませた。自分自身にだ。

 

40を過ぎた私は髪もすっかり薄くなり、腹も出た。あの時。あの時から25年間も私は自分自身を偽って生きてきた。10代後半から音楽を諦める20代の半ばまでは、本当に苦しい時代だった。それもそのはずだ、私はロックンローラーに本気でなりたいとは思っていなかったのに、ひたすらそう信じこみ、そうなれるようにさまよっていたのだ。どんなに苦しんでも「自分は馬鹿ではない」というちっぽけなプライドを守るほうが重要だったのだ。私は椅子から転げ落ち、膝を付きそうになった。私は泣いていた。ロックスターを夢見ていた人生は一体何だったのだろう?

 

「タバコすおっか。」同情でも嘲笑でもない満面の笑みでいずみちゃんが言った。私は紙巻はやらないが、思わず頷いた。いずみちゃんの肩を借りて、外の喫煙場所でタバコを吸った。一人では立っていられなかったのだ。あまりの衝撃で。この俺が? まさかバカだったなんて。

 

「私はバカなんです」いまでは、誰にでも笑ってそう言えます。卑屈になるのではなく、自分を嘲るわけでもなく、ただ自分はバカなんだ、というところに居られるのです。そのことを私は気に入っています。私はもうセミナーとは関わっていませんが、いずみちゃんをはじめ多くの友人を得られたランドマークエデュケーションに深く感謝しています。バカでいいと心のそこから思えることで、私は大いなる自由を手に入れました。

 

電気自動車

2011.10.28

私は新潟で電気自動車を作る取り組みをしてきました。一人ではなく強力なパートナー、支援してくれる心強い存在がありました。それはとても有名なデザインハウスで、そこのUさんとのエピソードをご紹介します。


 

文房具から携帯、ホテルから一街区までデザインする、そのデザインハウスは最高に格好よくプロフェッショナルな集団です。彼らのデザインは世界中から認められており、現在は上海と北京で巨大プロジェクトをすすめています。ここで名前を出して尊敬と賞賛を文字にしたいとも思ったのですが、それはやめておきます。今後、彼らが電気自動車をデザインする可能性は大いにあり、ポシャったプロジェクトに関わっていたという、味噌を付けたくないからです。

 

そのデザインハウス(ここでは仮にDとしましょう)、Dとの出会いは株式会社ファーストビレッジの主催する交流会でした。そこで、まるでアーティストのプロモーションビデオのような、かっこいいプレゼンとその圧倒的に素晴らしいデザインの数々に魅せられました。何よりも欧米の二番煎じではなく、アジア的なテイストを持っている所が私の心を捉えました。そして、電気自動車とそれが合体するスマートハウスを共通のデザインでつくろうと考えていた私にとって、携帯からリゾートまでデザインし、素晴らしい作品を送り出す彼らは、ピッタリに思えました。

 

私は自分が作る電気自動車とスマートハウスをデザインして欲しい、と率直に言いました。今はお金はないが、これから集めるから、と。計画も何もない、あるのは数枚の手書きのスケッチのみ。この無謀極まりない申し出を、Uさんの取り計らいで、T社長が承認してくれて、私たちの電気自動車プロジェクトが始まりました。私は支援要請のため自治体まわり、そして企業をまわりました。彼らは彼ら独自の未来都市構想と、トヨタ車体のコムスをベースとする一人乗り電気自動車のデザインを提示してくれました。

 

そもそもなぜ、電気自動車を作ろうとしたかというと、私の出身地である新潟県柏崎市のまちおこしが目的でした。駅前のシャッター通り商店街を何とかしたいと考えたのが発端で、柏崎市の商工会議所との接触の中で、それが電気自動車に発展してゆきます。私は知らなかったのですが、柏崎は電気自動車の特区に指定されており、三菱自動車の電気自動車 iMIEVの商用利用第一号であるタクシー仕様が市内のタクシー会社に納車されていたのです。

 

そこからは長い時間でした。私の構想は県内にあるマグネシウムのプレス技術を使って、オールマグネシウムで作ろうというものでした。新潟のまちおこしを目的として、世界一かっこよく、類例のない電気自動車と、それと合体するスマートハウスを、県内の技術、企業を結集して作り、それを町おこしのロケット花火、産業発展の呼び水としたい、と考えたのです。自治体、柏崎、六日町、十日町、いくつもの企業、商工会議所、商店街、新潟工業技術総合研究所、東電、JR、ベンチャーを支援するNBC、大地の芸術祭、・・・。

 

そして311。被災地を訪れたことで私は電気自動車を一旦棚上げし、あの大地の、この国の復興に関わりたいと思いました。あの時見た光景、衝撃は生涯忘れません。石巻市から南相馬まで海側は壊滅していました。柏崎のシャッター通り商店街。「あれはあのままで幸せだ」と見渡すかぎりの瓦礫を見ながら、ふと思ったのです。

 

そこから市民電力を一つでも多く作りたいと考えた私は、ソーシャルエネルギー株式会社の立ち上げに関わり、マイクロマーケティングでもソーラーパネルの販売を始めることにしました。その一方で、電気自動車を休止したことをUさんに言い出せないでいました。D社とUさんから頂いた支援は、一言では感謝し尽くせないものでした。お金を払うどころか手弁当で新潟に脚を運んでもらい、一緒に各方面をまわり、プレゼンし、プレゼンの自治体が変わるたび、あのかっこいい資料を作ってもらい、いつも適切なアドバイスと暖かい支援をもらっていました。

 

昨日の夕方、北京から帰ったU氏に、311以降の気持ちと状況の変化、市民電力を作る現在の取り組みを説明し、電気自動車プロジェクトの一時休止を伝えました。「そうですか、わかりました。残念ですね。うまく行きそうだったのに。」「311はね。仕方ありませんね。」

 

「それで、私たちは何ができますか? 何をして欲しいですか?」

 

「今は、・・・何もありません」私は下を向いてしまいました。Uさんの大きさに触れて、なかなか休止を言い出せないでいた自分の小ささを恥じました。

 

私もUさんもF1が大好きで、帰りがけにF1の話をしました。エイドリアン・ニューイがデザインしたレッドブルの強さを語っていると、「・・・松村さん。大金持ちになってF1チームを持ってくださいよ」白くなって私はどう返事をしたのか思い出せません。「これからも状況をちょくちょく知らせて下さい。縁がありますからね。応援していますよ!」

 

私は冷たい外気の外苑前を歩きながら、心がジーンと暖ったかくなりました。本当にありがたかった。本当に。

長谷川会長のお誕生会

2011.10.27

昨日、中丸三千繪後援会の理事会の後、代表理事であり株式会社はせがわ(お仏壇のはせがわ)の会長、長谷川裕一会長のお誕生会が渋谷でひらかれました。株式会社東芝の西田厚聰会長の講演の続きはちょっと次回にゆずり、今日はそこでのエピソードを紹介します。


 

誰もが親愛と敬愛をこめて「会長」と呼ぶ長谷川裕一会長は本当にものすごい人です。会長は常に筋が一本通っていて全くブレがない。その理念の根源は、人の魂は永遠の命を持って輝いている、という信念から立脚しています。昨夜も「私の命は何百兆円を積まれても買うことができない。あなたも、あなたも、誰の命 だってそうだ。私は常に思う。自分は"それ"に値する生き方をしているか、と。」

 

かつて会長を囲んで数人で飲んだ際に、こう言われていた 「男たるもの国家を背負え。自分が国家である、と胸をはれ。」昨夜も会長は「現在の国の状況は私に責任がある。だからこそ、いまの子供たちのために命をかけてこの国を良くしなければならない」と。会長のおっしゃる命とは、先の魂、永遠の命のことだ。会長のエピソードは尽きないので、いずれまとめてブログ に書きたいと思います。

 

また、会長のお祝いに駆けつけた山本幸三衆議院議員のお話には感銘を受けました。

山本先生の「増税によらない復興財源を求める会」は超党派ですでに二百数十名に達したという。うち自民党は六十数名で、多党のほうが多い。この経済状況下で増税がまずいことは、誰しもが感じていることだ。それは、9割に達するといわれる内需(外需は約1割)によってこの国の経済が成り立っているからだ。(もちろん1割の外需が支える内需の大きさは相当な割合になるにせよ)

 

昨日書いた東芝の西田会長はこのように表現していた。韓国のサムスンのように、グローバル市場に特化した戦略についての質問を受けて。「ほぼ利益が出ていないような家電メーカーがなぜ国内市場から撤退しないのかというと、日本の市場が中途半端な大きさを持っているからです。ひょっとしたら(笑)という空気があり、そこから抜け出せない。もちろん、いい時代があったことも大きい。それに比べたら韓国市場はあまりにも小さすぎて、外に出る以外に選択肢はありません。」

 

また、尊敬する千葉商科大学学長の島田晴雄先生は「岐路」の出版記念パーティでこのようにお話された。復興財源を増税に求めようとする与党の動きを批判して、この状況下で増税などとんでもない愚策であると。曰く「経済は気合です」と。名言だと思う。

 

増税されて財布のひもが緩む人はいないだろう。誰だってそうだ。先行きの不透明感は、不安という「空気」となってこの国を覆う。それを呼吸していたら「みんなで景気よくパーッと使おう!」とは決してならない。経済は空気だと思う。

 

だからこそ、晴れやかな気分で、この国のあらゆる人達に感謝して、私は喜んでお金を使いたい。金額の大小ではない。311以降、世界中から集まった義援金を知れば、全ては還流していることをあらためて知った。だから外国でも大いにお金を使いたい。経済は気合であり、経済は空気。まずは自分の周りの空気を、陽気に変えたい。大いに夢を語り、大いに笑って今日を過ごそう。

 

尊敬する多摩大学名誉学長の野田一夫先生は、先月のNBCの勉強会でこう喝破した。「経済がどうのこうの、原発がどうのこうのといった議論に参加してはならない。専門でないことには口を挟むな。聞かれたら、わからない、と言いなさい。先のことは誰もわからない。占いみたいなものだ」と。その一方で、こうもおっしゃった。「みなさんは大人なんだから、自分で判断して自分で責任を取りなさい。いつか、その時が来ても泣き言を言うな」と。ごもっとも!



株式会社はせがわ 長谷川裕一会長のサクセスストーリー
http://www.sminet.jp/success-story/hasegawa/index.html

長谷川裕一会長の動画
http://www.cowtv.jp/channel/boss/054hasegawa/

山本先生のホームページ 衆議院議員 山本幸三のホームページ
http://www.yamamotokozo.com/

山本幸三議員の「増税によらない復興財源を求める声明文」
http://www.yamamotokozo.com/news/20110703.htm

島田晴雄先生のホームページ HARUO SHIMADA Web Site
http://www.haruoshimada.com/

野田一夫先生のホームページ 野田一夫WebSite
http://www.nodakazuo.com/index.html

判断力

2011.10.26

私は新潟で電気自動車を作る取り組みを行って来ました。そしてそれは311以降に大きな変化を遂げました。そのあたりのエピソードは追って書くとして、これ以降は私が刺激を受けた事柄を皆さんと共有したいと思います。

 

 

昨日、島田塾にて東芝の西田厚聰会長の講演を聞きました。「グローバル時代における経営判断力」というお題で、主に「イノベーション」と「判断力」について、ご自分の経験と時事をおりまぜながら語って下さいました。

 

率直に言って、非常に感銘を受けました。なによりもその視点。実に大きな、日本でもなく、どこか特定の市場、地域でもなく、全世界にまたがった、まさにグローバルの観点から語られていること。よって常にグローバルな視点から、日本のこと、社長時代のこと、原子力発電のこと、等々が紡ぎだされて、聞いている私まで、視野を拡大されるような、お話を通じて世界が見えるような、そんな体験でした。

 

私の解釈というバイアスがかかりますが、西田会長のお話をかいつまんでご紹介しましょう。

 

■イノベーション

経済発展の原動力がイノベーション。商品、技術、組織、マーケティング等々、あらゆるジャンルで小さなイノベーションを起こせ。それがプロセスイノベーション。

一方、バリューイノベーションとは、必ずしも現在の延長線上にはない全く革新的なこと。

 

新しいことを試みるのはリスクを引き受けるということ。従って失敗の可能性も非常に高い。失敗の場合はそこから学ぶしかない。失敗を恐れない風土。変革の風土からイノベーションが次々とたゆることなく生み出されてゆく。

 

■判断力

人間の持っている能力の中で極めて重要な能力が判断力である。どんな服を着てゆくか、傘を持ってゆくか、それも判断力。判断力を磨け。判断力に深い洞察を加え、それを磨く本がない。世界に存在しない。カントが判断力について少し書いているが、あまり役に立たない。

 

判断力とは人間の極めて難しい、不可思議な能力である。経営の場合は正しい判断をしようと思うと、なかなか難しい。限られた時間と情報の中で判断するしかない。

5年10年後に正しい判断と思えればいい。正しい判断はできない。最適な判断をすれば良い。判断ミスを少なくする努力が大切である。私も判断をミスしたことはたくさんある。

 

根本的なレベルで判断ミスをすると、大きな定量的なロスとなって現れる。では、判断力をどうやって磨けば良いのか。自分を一歩離れてみてみる。自己会話。お客様の立場にたって考える。地域社会の側から考えてみる。こういうことの連続でしか判断力は磨けないのではないか。広く深く考えてゆく力を養う。判断力にはあらゆるものが関連している。世界、社会、経済。いろんなことを学んで成長して判断力を磨く。東芝ではリベラルアーツ教育を行なっている。もちろん勉強すれば即、判断力が上がるというものではない。しかし、いつか判断力の向上に寄与するものと期待している。

 

長くなったので続きます



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f:松村博一 (まつむらひろいち) 1968年1月20日生まれ、水瓶座、AB型、新潟県柏崎市出身、新潟県立柏崎常盤高等学校中退、マイクロマーケティング代表取締役社長

好きなもの:F1と自動車と機械全般
好きな映画監督:フェリーニ、キューブリック、ゴダール、コッポラ、黒澤、タルコフスキー 
好きな音楽:ビートルズ、クラプトン、U2、レニクラ、尾崎豊、美空ひばり、中丸三千繪、ラグドール 
今一番の関心事:市民電力の拡大
人生でやりたいこと:日本を科学技術立国、太陽経済国家にすること